その日、自分は当直だった。
夜間診療の合間、ようやく交代の医師が来たので引き継ぎを行った後、休憩室に向かう。これから2時間程の仮眠をする為に。
仮眠室に向かう途中、通話可能エリアで自宅に電話をいれれば、夜更けにも関わらず妻が出た。手伝いに来ている己れの親に電話番くらい頼めば良かったのに、そう思った。
「起きていたのか、体に障るぞ」
そう身重の妻に言えば、お兄ちゃん達がお手伝いしてくれたから、と穏やかに笑う。そして直ぐに、大丈夫でしたよ、と言った。
「…そうか、ありがとう」
今日、忙しい自分に替わり、妻がある家族の見送りに行ってくれた。
数日前まで入院していた幼いお子さんの夫婦で、治療中 必死に見舞っていた。
自分達にも子供がいる。他人ごととは思えず、親身に話すうちに親しくなり、退院の折りに帰国を見送る約束をしていたのだ。
ところがシフト変更となったため、今日の見送りを伝言と共に頼んだのだ。
そんな妻に、労いの言葉をかけた。
『連絡先もお互いに交換しましたし、あちらに戻っても定期的に診察を受けるって約束も』
きちんとして下さいました。
そう、安心させる口調で報告をしてくれた。
「…すまないな、助かった」
『いいえ』
そうか、この事を言う為にわざわざ起きて待っていてくれたのか。会話の途中今更ながら気づいた。
頭が下がるな。
内心で思っていると、電話のむこう、彼女の後ろから幼子の泣き声が聴こえた。
あら、どの子かしら。クスクス笑う妻に再度礼を述べ、お休みと言って切る。
彼女の話から、彼らが無事帰宅の途についた事に安堵する。
静かな院内。ホッと一息ついて、止まっていた足を再び動かす。