「こんばんはー、てっちゃん!」
「あれ?ちー、一人?」
「誰も掴まらなかったの~」
みんなバイトだのデートだの、予定があるらしく断られてしまった。
「一人で飲んでたりなんかしたら、礼に怒られるよ」
「…内緒にするもん」
てっちゃんは唇に人差し指を当て、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。
こっそり、カシスオレンジのグラスを手渡しながら。
――午後9時過ぎ、暗い帰り道。
礼がいないのをいいことに、カシスオレンジに加え、ビールまで。
たった2杯でほろ酔いだなんて、あたしってお酒弱いのかも。(家族みんな強いのになぁ)
カンカンと、アパートの鉄階段を踏み付けるヒールの音。
あの綺麗なピンヒールに対抗するように、あの日からぺたんこ靴はやめて少しでもヒールのある靴を選んでしまう自分がいる。
――うるさい。
本当はすきじゃない。
歩きにくいヒールの靴も、すぐに影響されてしまう自分も。
あたしの部屋の前であるはずの場所に座り込む人影。
え、あたしの部屋って203号室だよね?
自分の部屋を間違えるほど、酔ってはいないつもりなんだけど。
「…おそい。どこ行ってたんだよ」
セクシーな低音。
あたしが聞き間違える訳がない。
「…礼。こんなところで何してるの?」
あたしの言葉に、心底呆れたといった顔をして、深い溜め息をつく。
「どっかのわがまま女のメール受けて、家にも帰らずバイト先から直行した哀れな俺に、よくそんな言葉を吐けるよな」
“バイト先から直行”
そんな言葉に嬉しくなって、礼の胸に抱き着き、聞こえるか聞こえないか分からないくらいのボリュームで『ありがと』と言う。
そんな素直なあたしの頬を優しく触って。
――…いたかと思うと、その表情がみるみるうちに険しくなっていく。
「なんか顔紅くね?…お前、酒飲んだだろ」
「ち、チークだよ、チーク!ラデュレの新作チーク発色すごいいいんだよ!」
断じて嘘じゃない。
ラデュレのチークの発色のよさは身をもって体感してる。
いつも贔屓にしてるんだし、ちょっとくらい言い訳に使ったって、バチは当たらないと思う。
