紗織の、つい最近の記憶はある。
中学時代の記憶も、しっかりある。

今から約6年前、直次と生活を始めてからの記憶だ。
仲良かった友達、当時の制服のデザイン…
そのあたりは何も問題は無かったように見えた。

目を閉じて、椅子の背もたれに体を預けて座る紗織の姿を見ると、過去の記憶を失くした人には全く見えない。

ごく普通の、どこにでもいそうな、普通の女の子だ。
 
【紗織の過去を知っている】

あの手紙を思い出した。
この子の過去に、何があったのだろう…


時計を少しずつ左回りに戻していく。
紗織の表情を確かめながら、ゆっくりと優しく戻していく。


ここから慎重にいかなきゃならない。

直次は自分に言い聞かせながら、紗織に言葉をかけた。


「紗織、今何が見える?」

「…」

「今、お前は中学校に入学した頃だ。周りに何が見える?」

紗織の表情が曇った。

「何か見えるか?」

「…何も無い…知らない人ばかり」

「他に何か見えるか?」

「...特に何も...」

入学した時は楽しみよりも緊張の方が大きかっただろう。
"何もない"は、ある意味で合ってるのかもしれない。

「じゃ、もう少し戻ってみよう。今は小学校6年生だ」

紗織の表情が更に曇った。

「どうした?この時期は嫌な時期なのか?」

「...話したくない...」

それきり、紗織は一言も話そうとはしなかった。

「そうか。わかった。今日はこれくらいにしておこう。波の音が聞こえなくなったら、目が覚めるよ」

直次はそう言った後、CDを止めた。