6年の成果を聞かれたら、頭が痛い。

エキストラで何度か仕事をしたが、リハーサルで、「しゃべるな」と助監督から罵声を浴びられ、そんな、者扱いされた俺は東京の暮らしは徐々に荒んでいく。

22歳になる頃になると、エキストラ役者として、役名ももらえない通行人を慕う後輩が現れ、あるものは諦め、あるものは舞台役者になっている。


妙なウンチクだけは身に付けたが、誰にも評価されないままの男だった。