よく国語や英語で「個性」だとか“identity”だとかを尊重していくべき、そう言った文章を目にして来たけれど、独りになってしまうくらいなら、そんなものは要らない。アタシの持っている“identity“なんて所詮ちっぽけなものだ。そのように考えてしまうようになった。


 このお陰だろう。アタシは、大学生活でかなり必要であるトモダチを得ることができた。彼らといることによって、不安でしかなかった新生活が楽しくなった。


 しかし、彼らがいなければ、アタシはこの4年間を生きていけない。嫌われてしまえば終わり。そう思うとアタシは人に弱みを見せることができなくなってしまった。


 嫌われないように出来るだけ綺麗に自分を着飾り、笑える気分でなくても、表情は笑顔を作った。「くだらない」と思う程ちっぽけなトモダチの悩みも、「共感している」という姿勢を崩さず聞き続けた。


 常に口角を上げていたから、始めは頬が筋肉痛になったけれど、もう慣れた。自然な作り笑いは得意。自分を偽る事も得意だ。


 こういう風に2年間大学生活をやり過ごしてきたけれど、こんな本音も言い合う事が出来ない、自分を出すことができない関係が、虚しいと思う時がある。