あの後、旬は何度も謝っていた。


「ナツごめん! 本っ当ごめん!」

 さすがに自分がふざけたせいだと思ったらしい。オロオロと慌てながら、ただ謝った。


「もういいよ」

 そこまで謝っているのだから責める気もおきず、奈津美はそう言ってティッシュで折れた口紅を拾って床を拭いた。


「ごめん……」

 奈津美の言い方がきつくなってしまったのか、旬は俯いて呟いて、まるで捨てられた犬のように切ない表情になった。


「別に怒ってないから……もういいよ? 私も注意してなかったし」

 奈津美は両手で旬の頬を挟み、顔を上げさせる。唇に奈津美の口紅がついていたのもティッシュで拭ってやる。


「じゃあ、行ってくるね」

 顔をうんと近付け、軽く額と額を当ててそう言った。


「うん……行ってらっしゃい」

 やっぱり少し切ない表情のまま、旬は奈津美を見送った。




 あれじゃ相当怒ってると思われたかもしれない。いつもなら『何やってんの!?』ぐらい言うから、逆に。


 しかし奈津美も急いでいたし、怒ろうという気になれなくてああ言ったのだが……




「そりゃアンタ、チューの一つでもさせてやればよかったんじゃない」


 昼休み、社員食堂で今朝の出来事をカオルに話したら、そう返ってきた。


「いきなりそれ?」


「それが一番怒ってないって証明でしょ。それに相手だって喜ぶし」

 カオルはあっさりと言う。


「確かにそうだけど……」

 カオルの言う通り、旬ならそれで一発で機嫌はよくなるだろう。


「でも旬の場合、調子に乗りそうだし…ていうかあのリップだって買ったばっかでお気に入りだったし」


「何、やっぱり怒ってたの?」


「まあ…少しはね。でもリップ一本で本気で怒るのも大人げないじゃない。まして年下に」


「あぁ。確かにねぇ…」

 カオルは納得したように頷いた。


「それに…旬が調子に乗ったら……朝っぱらからシャレにならないし」

 奈津美はそう言ってため息をついた。


「盛ってくんの?」


「盛ってくんの」


 カオルの言葉の通りに、奈津美は頷いて答える。