「蒼……顔を上げろ」
先輩はしゃがみこみ、俺の肩に手を乗せた。
「俺が麻緋さんに会ったら……麻緋さんは歌うことを辞めてしまうかもしれないんだよな」
いつも、爽やかに笑う先輩が、目に涙を浮かべている。
必死に泣くのを堪えるように、口をへの字に曲げ、俺を真っ直ぐ見つめる。
俺は、先輩にそんな顔をさせたことに罪悪感を感じて、胸の奥がズキズキと痛む。
俺まで泣きそうになって、先輩の瞳から目をそらし、ただ、コクンと頷いた。
「そっか……」
先輩は、悲しそうに微笑んでから、立ち上がった。
「実は、俺……向こうで教わってるピアノの先生に“このまま残れ”って言われててさ。
迷ってたんだけど、向こうの学校に行くことにしようかな」
先輩は笑って、空を見上げて伸びをした。
「先輩……」
「だけど、今回だけだからな。
これから先、麻緋さんも音楽を続けていたなら、きっと、また出会えるはずだから。
音楽が俺らを出会わせてくれるから、今回だけ……。本当に今回だけだからな」
だから、お前の土下座に免じて今回だけは会わないでいてやるよ。
と先輩は捨て台詞を残して去っていった。
その頼もしく、大きな背中に向かって、俺はありがとうございますと深く頭を下げた。


