いのり



さっきベランダで顔を合わせたから、大丈夫だろう。


そう考えながら呼吸を整えて、
隣の部屋、1105号室のドアの前に立った。



ピンポーン



慎重にベルを鳴らし、また一息ついた。

すると、目の前のドアが勢いよく開かれた。



「…どちらさん?」




さっき話したばかりなのにも関わらず、
彼は初めて会ったような顔をした。


『あの、さっきべランダで…』


「…ああ!ごめんごめん、思い出した!」


「見たことある顔だと思った」と、
彼は頭をかきながら苦笑した。


『昨日から隣に住み始めた…野崎沙羅、です』

「芳田晴貴です。よろしく」


知ってるよ。


と言いそうになるのを我慢して、
彼が差し出してきた手に自分の手を添えて握手を交わした。


『あの、これ是非』


なんて言ったらいいかわからず、
とりあえずあたしは「つまらないもの」を彼に渡した。


「わざわざ持ってきてくれたの?ありがとうな」


彼はあたしの目を見ながらくしゃっと笑った。



『…それじゃあ、また』

「おう、またな。…野崎さん」


クセのある関西弁で話す彼。

ドアをゆっくり閉める彼に、うまく笑えただろうか。


高鳴る鼓動を鎮めようと、
自分の部屋のドアノブに手をかけた。