「帰ったの?」
声になっていなかったけれど、平野さんは唇だけで「え?」と聞き返してきた。
「向井さん」
「え、あぁ、うん。奈央ならもう帰ったよ」
ドクン、と胸が打つ。
衝撃で心臓がへこんだような感じがした。
「いつ」
素っ気のない言い方になってしまったけれど、それどころではない。
目を合わせると、平野さんは一瞬怯んだ。
「い、いつって……ついさっきだけど。曾根と入れ違いくらいじゃないかな」
平野さんが視線を合わせると、近くの子が頷いた。
入れ違い――
行かなければ。
煽られるみたいに、心が奮い起った。
なぜか分からない。
こういう時ほど、頭は空っぽで。衝動に駆られて身体だけが勝手に動くもので。
ただただ、今はそれに逆らってはいけない気がした。
広げていたシャツを再び袋へ戻し、鞄を鷲掴みにした。
「ど、どうしたの?!」
背後から素っ頓狂な声が追い掛けてくる。
今は構っていられない。
僕は振り向く事なく、慌てて教室を飛び出した。
後ろから「ちょっと!」と怒鳴る声がしたが、足は止まる事を知らずに、廊下を勢いよく蹴っていた。
会わなければならない。
大袈裟かもしれないけれど、今じゃなきゃだめだ。
今、言わなければならない。
明日もしまた会ったとしても、きっと、ちゃんと言えない。
今言わなければ、もう二度と言えないと思った。
そんな気がした。


