『シナプス』

あ、また糸が切れてる。

ありきたりな毎日の仕事の中、手段がない事を目の当たりにした僕は、自分が呼び覚ますべき記憶をそれ以上追えないことを悟り、手を伸ばす事をやめた。

もっとも、こんな事は仕事柄よくあることだ。
僕はすぐに気持ちを切り替えて新しく受けた仕事にかかる。

この記憶の持ち主は、今探ろうとした記憶が途切れている事すら忘れているに違いない。
まるで何かを考えたこと自体がなかった事みたいに、次から次から新しい事を考える。
そのたびにあちらこちらでピカピカと光が点灯し、シュウシュウと新しい糸が伸びる。

いらない記憶を忘れる。
それを咎めるつもりも、悲しむつもりもないけれど、やっぱり残念な気持ちは拭い去れない。

僕は記憶の糸を辿りながら辺りを見回した。
糸を辿って光っているのは仕事仲間。いつか記憶の先に見たモールス信号のよう。

頭上と言わず下と言わず、ありとあらゆるところから幾筋も無節操に伸びていくのは新しい記憶。
それは空間の中で交わったり、ねじれたり、絡まったりしながら、それでも確かにその先に必要な情報がある事を誇示するようにたわむことなくピンと張り詰め、空間にまっすぐな線を引く。

仲間が光り、糸が伸びる様は、満天の星空に消えない流れ星が行き交うみたいだ。

それと同時に切れる糸も同じくらいの速度で量産されていく。
向こう側を失った先端はどれも案外に鋭い切り口でふわりと他の糸に寄り掛かったり、暗い闇にだらりと垂れ下がったりして、その役目を終えた事を無様に誇示している。

誰も回収しない。記憶の持ち主がその先を求めていないから。

記憶のフラッシュ、という言葉を見つけた事がある。
確かにそんなふうに僕たちは見えるかもしれないなぁ、と仲間を見ながら思った。

生活の中のふとした時起こるそれは、デシャヴのような既視感とは違うごくありふれた体験だからこそ、その糸口はいくつもの筋に分かれ、時も場所もバラバラな複数の記憶と繋がっている事がある。

その中でこれと思うものを這うように丁寧に辿ったところで切れていてはそれ以上追う事は出来ない。