「お月さん」
「なあに?」
「お月さん、恋のおまじないによく使われてるよね」
「知ってるわ」

お月さんはちょっと胸を張ったように見えます。

「古代より、恋と言えば私よね」
「そうよね……私ね、好きな人がいるの。職場の先輩なの」
「素敵な人?」
「そうね。私にはとても」

少し冷えてきたな。
私はポットのお湯を注ごうと手を伸ばしながら独り言みたいに言葉を続けます。

「会えるだけで嬉しいの。仕事の話でも、口をきけると嬉しいの。でも、もっとお話ししたいって思っちゃうと、勇気がなくて、出来なくて、苦しくなっちゃう」

ポットを膝の上に乗せ、コップにお湯を少しづつ注ぎます。
コポポポ、と小さい音を立てながらコップの中は暖かく満たされ、ウイスキーがゆらゆらとお湯に溶けていくのが見えます。
そんなコップを見ながら、お月さんに悩みを打ち明けるのって、このお湯に溶けるウイスキーみたいだと思いました。実体があるのに、なんだか掴みどころがないような。

お月さんは私の話をうんうん、と聞き、
「そう言うの全部、私には羨ましいわ」
そう言ってはぁ、と溜息をつきました。

「私は好きな人に話す事も出来ないもの」
「お月さんにも好きな人がいるの?」

私は驚いてお月さんを見上げました。
意外?と言ってお月さんは微笑みました。

「とっても暖かなひとよ」
「素敵なひと?」
「そうね、私にはとても」

お月さんが私を真似て返事をしたので、私は小さく笑い、そんな私にお月さんも笑い返しました。

「でも遠くに居るから大声で話しかけるのも何だかあけすけな感じだし、失礼でしょ?だからいつも見つめるだけ。どんなに苦しくても近づこうと思えば近づけて、手を伸ばそうと思えば触れる事ができるあなたが羨ましいわ」

まあ私は近づいても手がないんだけどね、そう言ってお月さんは笑いました。
私もなるべく上手に微笑み返しました。

そしてひとくちお酒を飲んで、コップに映ったお月さんを見つめ。
ゆらゆら揺れるお月さんは薄くて黄色い液体の中にぷかぷか浮かんでるみたいに見えます。
そこに貸切の温泉の中でふざけて浮かんだり潜ったりして呑気に骨休めをしているお月さんを想像して私はちょっと笑いました。