その店に入った理由は、ただとてつもなく暇だったから。それ以外には無い。
 二階建てのこじんまりとした洋館。珈琲という文字に惹かれたのかもしれない。大人ぶらないといけない、とどこかで焦っていたから。
 扉を開けて店内に足を踏み入れる。床が軽く悲鳴を上げた。
 中にいたのは、ヘッドホンをしたウェイター姿の青年だった。後ろ姿に何をしているのかと近寄れば、音楽機器をいじっている。さしずめDJといったところか。
「いらっしゃい」
 やっと背後の存在に気付いた青年が微笑みながら言った。平日の昼間のアルバイトにしては若い。
「ふゆたに……?」
 左胸の名札に目を落として言うと、座り込んでいた彼が立ち上がり、目の前に指を突きつけた。
「俺は、冬谷(とうや)だ!」
 あまりの上から目線に、唖然としてしまった。
 冬谷、と小さく繰り返すと、満足そうに頷きヘッドホンを外した。
 カウンターの中に入った冬谷は、豆挽きの中に珈琲豆を入れボタンを押した。ゆっくりと中の豆が動く。そのうちにポットと鍋の両方で湯を沸かし、鍋のほうにコーヒーカップを入れる。
 手慣れた動作で出来上がったのは、甘い香りのカフェオレだった。
「サービスだよ。初めてのお客さんには好きなコーヒーを一杯飲んでもらうんだ」
「カフェオレが良いって言った?」
「そんな感じの顔だった」
 何だか笑えてしまって、一言礼を言ってから大人しくカフェオレを口にした。匂いのわりに甘すぎない。子供扱いされたような複雑な気持ちが吹き飛んだ。
「美味しい」
「そりゃあ良かった」
 冬谷は小さく笑った。
 カフェオレを待ってるのと同じくらいの時間、二人は無言で過ごした。最初のうちは洗い物の水の音が響いていたが、そのうち温かいカフェオレを啜る音しか聞こえなくなった。
 冬も間近だが、暖房はまだ入れていない様子だった。それなのに窓から入る陽の光が暖かくて、何だか悲しくなった。
 抜け出して来た場所では、きっと多くの顔なじみが、同じ光を受けているのだろう。けれど、こんなに優しい太陽の明るさを、誰も気に留めたりはしないのだ。
「あったかい……」
「そりゃあ、良かった」