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ゆきのつぶらな瞳は汚れがない。
その声にも、凛とした雰囲気にも。
なまりのきつい中国語で激昂し、芳郎に切っ先を向けていた男が、ゆきの声に身を震わせて正気に戻った。
視界に色が鮮やかだ。
何度も思い返して忘れまいとしてきた母の声。
牡丹が鮮やかに咲いた時の、笑い声。
もう何十年も前の事。
セピア色にくすんだその風景が、鮮やかに蘇る。
あの子は年頃からして、母の孫だろうか。
「ねぇ、おじいちゃん?あの人、写真の、おばあちゃんに、似てるよね?」
男を指差すゆき。
細いけれども艶のある、癖のない髪、すっとした目鼻立ち、纏うオーラは凛としていて、まさしく明花にうりふたつ。
男は取った。
母の面影を。
その細い手を。
ほぼ無意識に、芳郎の足元に纏わり付くその手を自分の方に引いた。
嫌だったのだ。
あの時自分を選ばなかった母が、また自分を見捨てるのが。
だが、近くに寄せてみれば、やはり違う。
母ではない。
引いたばかりの手を突き放す。
ゆきは怯えたようになり、また芳郎の足元に縋り付く。
しかしやはり。この、母を掠め取って行ったやつに縋る姿は見たくない。
また、手を引く。
けれども。母の血が流れていることは間違いなさそうだが、芳郎の血も流れている。
血が、拒否するので、また突き放す。
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「…春樹くん、集中できない?」
夕食後のリビング。
微かに夕食の残り香が漂っているそこで、いつものように夏と春樹の勉強会。
「ごめんね…、なんかいろいろ考えちゃって。」
化学のテキストを広げ、元素記号を足したり引いたり。
春樹のノートには見たこともない記号が出来上がっていた。
「気体か、液体か、はたまた固体なのか…、全部混ぜて実験してみたいな。」
ずらりと並ぶ記号を指して、夏があいかわらずの顔をする。
「怖いこと言わないでよ。」
化学反応の実験は危険が伴う。


