あの時の牡丹は、大切に慈しんでいるが、未だ花を付けない。
植え替えを嫌う牡丹。
日本の土は気に入らなかったのだろうか。
何度も何度も明花を迎えに行きたいと願うも、母を置いては行けない。
月日だけが徒(いたずら)に過ぎてゆく。
母は母で辛かった。
芳郎の想いは知っていた。
母のため、立派に学校を修了し、父と同じ獣医になってくれた芳郎。
貧しかった暮らしも随分楽になり、渡ろうと思えばいつだって中国へゆけるのに。
けれども芳郎を離したくない。
夫を失って、母にはもう芳郎しかいない。
危険の伴う船旅。
治安の良くない異国。
行かせたくない。
互いの想いが錯誤していたが、ある日、母は芳郎の涙を見た。
七夕の夜空を大河が悠然と流れている。
煌めく星のような雫が、愛しい我が子の頬を伝っていった。
この涙は、何だろう?
繰り返し聞かされたはずの、悲しい時代を弔うものか…
一粒の星になった父を慕うものか…
「明花…」
吐息に混じり零れた名前。
つんとした痛みが鼻を通る。
我が子にはこれまで浮いた話がひとつもなかった。
ここまで一途な想いを抱いていたのか。
母は、芳郎の背から降りた。
「行きなさい。明花が待っているんだろう?」
「母さ…、」
「あの娘が嫁なら、母さんも気が楽だ。迎えに、行っておいで。」
「…はい!」
日本海の荒波で船は上下左右に弄ばれる。
だが船酔いなど気にならない。
懐かしい、中国。
明花の待つ牡丹の国。


