母がわざとピントをずらした行動をしているのか、根っからそうだったのかついに分からなかったが、そんな母のおかげ(?)でわたしは反抗期もなく、父のいない寂しさも感じず思春期を過ごした。




もっとも父はわたしの人生の途中からいなくなった訳ではなく初めから存在していなかったので、寂寥感という点では他の片親境遇の人の感情とは違っていたかもしれない。



しかしいくら何でもローティーンからミドルティーンにかかる頃には自分が処女受胎で誕生したなどと信じている訳はないので、少しばかりわたしは自分の出生に興味を持ち始めた。



かといって母が〔聖母マリア説〕を崩さないことを知っていたわたしは、独りで調べる他なかった。