そして、その瞬間は突然やってくる。
彼にフラれた瞬間と同じように。
視界のすみで止まった真っ黒な革靴。
うわぁ、最悪。
男の人だ。
しかもそれは、あたしの隣から動く気配がない。
早く行ってよぉぉ!
せめて顔を見られないように、これ以上ないくらい俯ける。
そしてついに、その人は声を発した。
戸惑いながら、だけどしっかりと確信めいた声で。
そしてその声が、あまりにも聞き慣れたものだったから、あたしも思わず顔を上げてしまった。
「…笹本(ささもと)」
テノールのよく響く声とともに呼ばれた名前。
笹本雨衣。
あたしの名前。
そしてそれを呼ぶ声は、毎日耳にしている。
「……桐生(きりゅう)部長」
見上げた先にいたのは会社の上司、桐生千歳(ちとせ)だった。
