「人のことは気にしないの。ほらもう行くよ。カオリせんせい待ってるよ」



奈央はすばるを操縦する時しばしば〔かおりせんせい〕の名前を利用した。すばるはそれで、たいがい言う事を聞いた。



厳密に言えば彼は母親である奈央とかおりせんせい以外にはほとんど心を開かなかった。関心さえも見せなかった。



しかし、今回は違った。すばるはなかなか動こうとしなかった。 



「なんなのよー」



奈央は仕方なく、再度、土手下に目をやった。



野球帽を被った青年が、かがんで一心に地面に目を落としている。それだけのことだ。



「なんか見てるのよ。みみずとか毛虫とか、きっとそんなものよ。さ、もう行こ。ほんとに遅刻してしまうよ」



奈央は急ぐあまり適当な説明をした。



が、すばるは土手下に下りようともがいた。



「なぁにしてんの、こうなりゃ実力行使だ」



奈央はすばるを担ぎ上げた。すばるは肩の上でバタバタ暴れた。



「よし、じゃあこうしよう。帰りにママがあのひとに、何を見ていたか聞いて後ですばるに教えてあげる。それならいいでしょ」



奈央は息子を下ろすとそう言った。



すばるの顔がぱっと明るくなった。それから彼は小指を突き出した。



奈央は頷いて指きりをした。




「さあ、急いでっ!遅刻するよっ!」