彼は辺りをキョロキョロと見回すと、教室の扉で視線を止めた。



「大空さん‥」



そして、ヒロくんのその異様な雰囲気を感じたのか、私に怪訝な眼差しを向けてくる。



「お前、今度は何したんだよ」



なるべく口を動かさないよう小声を出した小金井くんに、私は小さく首を振った。



「翼、来い」



いつもなら、伸ばしたその手に走って行けるのに。



「翼っ」



なんでだろう。足が、動こうとしなかった。



「ほら、早く行けよ」



小金井くんはそう言って、私の腰をポンと叩く。するとまた--‥



「翼っ!!」



足が少し震えてるのが分かった。けれど、ヒロくんに逆らってはいけない。来いと言われたら、行かなくてはならないんだ。

新しい教科書の入った手提げと鞄を持ち、そろりと足を進める。

その光景を、クラスのみんなはずっと見ていたと思う。それは、まるで時間が止まっているかのように。



「ヒロ、くん‥あの」



私は、ヒロくんの瞳を見ることが出来なかった。だから、ユラリと揺れたネクタイも、右手首を掴みに来た手も、何も見えていなくて。



「まっ、ヒロくんっ!」



ヒロくんの長い足が速く回れば、短足の私は走らなきゃならない。

手首を引っ張られ、半ば引きずられるように。

上履きのままで車に放り込まれた。


朝と同じ、屋根のない赤い車。夕方の春風は気持ちが良くて、向かう先の空はオレンジ色をしていた。それに照らされた大きな雲も、同じ色。



「ヒロ‥くん?」



何を怒ってるんだろう。

ヒロくんが解らなくて、遠いような気がして、なんだか‥悲しかった。


掴まれた手首はそのまま。強く強く握られているからかな? 手先がちょっと、冷たくなってるように感じたんだ。


やがて車は大きな門をくぐり、ひとつの扉の前で止まった。



「お帰りなさいませ」



いつものお姉さんが運転席から降りて、ヒロくん側のドアを開けてくれる。

私はまた、ヒロくんに引きずられるように車を降り、無言で進むその背中に、転ばないよう必死でついて行った。