短い春休みも終わり、僕は小学五年生の新学期を迎えていた。

 秋田県の中央に位置する男鹿半島は、全国的に見れば遅い春を迎えたばかりだった。まだ肌寒い日もあり、各家庭ではストーブやコタツが活躍する日もあった。当然、桜はまだその眠りから覚める前だ。

 男鹿半島の東に位置する、全面芝生に覆われたわずか三百五十四mの寒風山は、茶色の山肌が、少しずつ緑に色付こうとしていた。

 僕の小学校は、小さな港町にあり、日本海を望む小高い丘の上の少し奥まったところに建っていた。その丘の上からは秋田の中心地に向かう市民の足となっている、国鉄男鹿線を見ることができた。その小学校は、その昔に、沖合いに現われた鯨の大群を捕らえて得たお金の寄付によって建てられた為、別名で『くじら学校』と言われていた。

 その学校では、二年毎にクラス替えが行われることになっていた。その年は、僕らは五年生となるので、新しいクラスメートと共に新学期を迎えていた。とは言っても、小さな学校であったので皆知った顔ばかりだ。

 その日は、いつも八時三十分きっかりに教室に入ってくることで有名な担任の山田先生を、少しざわつきながら待っていた。山田先生は僕達が入学したときから我々の学年を受け持っており、僕自身は、三年生のときから直接担任を受け持ってもらっていた。