コーヒー溺路線

 

「彩子ちゃん」
 

 
「……」
 


 
彩子が一体どのような表情で涙を流しているのか、それはマスターからは見えない。
マスターは握っていたタオルを彩子の手へ無理に持たせた。
 

彩子の肩は小さく震えている。その髪の毛はうなだれた首に逆らわず垂れている。
 


 
「松太郎さんは本当に迎えに来るの?」
 

 
「……」
 

 
「もう二度と関わらないと決心したの、それなのに待っている自分が嫌になる……」
 


 
彩子の肩はガクガクと更に力が入って震え続ける。マスターはゆっくりと手の平を彩子の頭に乗せようとした。
 


 
「マスターのことを好きになれば良かった」
 


 
この彩子の心許無い言葉にマスターの手の動きはピタリと停止した。
 


 
「マスターを好きになった人はきっと幸せ」
 


 
彩子は続ける。
マスターはうなだれた彩子の頭の上で手をぎゅうと握り締めた。
決して彩子には触れない。
隠してきた想いがいとも簡単に堰を切って溢れてしまいそうだからだ。
 


 
「何を馬鹿なことを言っているんだ。藤山君しか見えていないくせに」
 


 
マスターは困ったように笑い、声だけはおどけてみせた。
彩子はまだ頭をうなだれたままでいる。
 


 
「コーヒーが冷めただろう。いれ直すから、ほら、しゃんと立ってしっかりと椅子に座るんだ」
 


 
彩子はマスターに言われるがままにカウンターの席に着いた。