「藤山松太郎はもう見合いをして婚約までしたはずだ。藤山は貴女を捨てたんだ」
その言葉はグサリと彩子の胸に刺さった。
その事実は彩子が一番よく理解しているつもりなのである。
彩子はまだ松太郎が婚約破棄したことを知らない。
待っている。
いつになるか判らない松太郎の迎えを、彩子はこのコーヒーショップで待っている。
「捨てちゃあいないさ。彩子ちゃんはここで藤山君を待っている」
「……」
「藤山君は現実と向き合って、彩子ちゃんを迎えに来る為に頑張っているんだ」
彩子の代わりにマスターが話す。
彩子はマスターの後ろ姿を見ていた。
どうしてこの人はこんなにも優しいのだろう、無意識に流れ出した彩子の涙はマスターの背に隠れ、俊平には見えなかった。
「君が、好きなんだ」
先程とは打って変わって俊平の絞り出すような苦痛の声がした。
「君が入社した頃から、ずっと見ていたんだ。ずっとだ」
彩子から俊平のその表情は見えなかったが、泣いているようだった。
マスターだけが知る、本当の俊平だ。
真直ぐな想いが彩子にようやく届いた後、俊平は逃げるようにコーヒーショップを飛び出した。
コーヒーショップには幸運にもマスターと彩子しかいなかった。
「……」
全身の力が抜けたように彩子はその場へがくりと座り込んだ。
マスターが慌てて同様に座り込んだ。
その手には咄嗟に掴んだ綺麗なタオルが握られている。

