コーヒー溺路線

 

松太郎があのコーヒーショップに行こうと思い立ったのは何故だろう。
彩子に会うことができるかもしれないという期待からだろうか。しかしよく考えれば彩子が新しい男を連れて来ているとも限らないのだ。
 

冷静にものを考えることができたならば、松太郎はそこへ行かなかったのだろう。
結果的に善し悪しは判らない。
 


 
「今晩は、マスター」
 


 
松太郎は少しだけ彩子を真似て声をかけてみた。マスターは酷く驚いた様子である。
 


 
「やあ、久し振りだな」
 

 
「ご無沙汰しております」
 

 
「一人だなんて珍しい」
 


 
最近彩子が一人でこのコーヒーショップに来ていることをマスターは少し前から不思議に思っていたのだ。彩子に松太郎は元気にしているのかと聞くのも躊躇ってしまい、今日まで聞けずじまいである。
 


 
「最近は彩子ちゃんが一人で来ていたから、どうしたのかなと思っていたよ」
 

 
「一人でですか……」
 


 
何かあったのかい、とマスターは松太郎に優しく尋ねた。松太郎は彩子が一人で来ているという事実に少しだけ驚きながらも、話し始めた。
 


 
「一緒になれないんです。僕達」
 


 
マスターは今一つ理解ができていないような顔をして、えっと聞き返した。
しかし今の松太郎は困ったように笑い目配せをすることさえできない。
 


 
「僕は結婚を前提に彼女を愛しているし、彼女もきっと、それなりには愛してくれていると思うんですけど」
 

 
「……」
 

 
「もうどうにもならない。離れようと彼女が決心してしまったので、離れるんです」
 


 
ここでようやく松太郎の口元に小さく自嘲気味な笑みがこぼれた。