1985年、僕は総理と呼ばれていた。

 
 
 その日の午後、自宅へ亡骸が運ばれると、すぐに小池も駆けつけた。
小池は遺体にすがりつき、号泣した。ひとしきり泣いた後、絵里は小池にお茶を勧めた。ダイニングテーブルを挟み、二人は話をした。


 小池はまず謝った。「一緒に帰るなり、下まで行くなりしていればこんな事にならなかったのに」と。


 絵里は無言で首を横に振った。


 「雄二の発見まで、結構長い時間だったけどさ、あいつは絵里ちゃんのことや、昔の思い出も、死の淵まで思っていたに違いないよ」




 解剖などの処置もなかったので、すぐに通夜、葬儀の段取りがとられた。





 通夜にはかつての同級生や学校関係者、教え子、絵里の友人、そして近所の人など、多数が集まった。

 次から次へと、事務的に動かねばならなかった絵里を、雄二の両親等がサポートをした。



 憔悴しきっていた絵里に、小池もずっと付き添っていた。