1985年、僕は総理と呼ばれていた。


 居酒屋のあった雑居ビルの1階非常階段と、隣接するレンガ色のビルとの隙間に置かれた、業務用の大きな室外機の影に雄二は倒れていた。


 発見者は雄二たちが呑んでいた居酒屋で働く女性だった。 

 警察官が着いたときはその女性も興奮していたのだが、しばらくすると、その顔に見覚えがあると言い始めた。古くからの常連客だが、知っているのは苗字と勤務している学校名だけだった。そこから警察は身元を割り出したのだった。




 外傷は無く、着衣の乱れや誰かと争った形跡も無かった。しかし上階の手すりには乗り越えた痕跡があったことから、警察は転落死と断定した。自殺の線も考えられたが、妻である絵里や友人等の証言からその可能性は低いと見られた。


 雄二と音信が取れなくなって1日以上が経過した。こんなことは今までに一度も無かったことだ。

絵里は一睡もせず、自宅で連絡を待っていた。



警察から連絡を受けると、絵里は、駆けつけた雄二の両親と一緒に遺体の確認をしに行った。



 横たわっていた遺体は、紛れも無く雄二だった。綺麗な顔をしていた。出血なども無いことから、警察ももう少し発見が早ければ助かった可能性もあると言っていた。

 絵里はボロボロと大粒の涙を流しながら、冷たくなった雄二の手を両手で包み込んだ後、声をあげて泣いた。母親はハンカチで口を押さえ、声にならない声で「雄二!! 」と名前を呼んだ。父親は雄二に背中を向けてうつむいた。



 それぞれの絶望を前に、警察官は無言で立ち尽くしていた。



 

 帰るまでのあいだに警察から諸々の事情を聴かされると、絵里は自力で立つことが出来なくなり、その場に崩れ落ちた。