1985年、僕は総理と呼ばれていた。

 渋谷でライブを観た後、二人は電車に乗り、友子の自宅へと向かった。

 9時過ぎ、友子の自宅に着き、玄関で靴を脱いでいると、奥から小走りで友子の母親が出て来た。
 「絵里ちゃん、さっきお母さんから電話があったのよ。今は出ちゃっていないって言ったら、何時頃帰ってくるかって聞くからさ、わからないんで帰宅したらすぐに連絡するように伝えときますって言っといたよ」

 絵里が黙っていると「なんか、切羽詰まった感じだったね~。だから、すぐに電話かけてあげなさいよ」と付け加えた。

 絵里は「電話をお借りします」と言うと、玄関に置いてある電話の受話器を持ち上げた。 
 友子は無言で2階の自分の部屋へと上がっていった。

 「もしもし、お母さん?」

 「絵里?」

 「そうだけど、用って何?」

 「あんた、明日飛行機で帰ってくるんだよね」

 「そうだよ」

 「お願いだから新幹線で帰ってきてよ」

 「はあ? なんで? 新幹線でなんか帰ってたら何時間かかると思ってるのよ」

 絵里の母はため息をついた。

 「あのね、あんたを心配して言ってるの、飛行機が落ちたらどうすんの?」

 絵里はハハハと馬鹿にするような笑い声をあげた。
 「なんで突然そんな心配するのよ、鉄の塊が飛ぶわけないとか言うんじゃないでしょうねー」

 絵里の母は、声のトーンをガラリと変えた。

 「あんた、日航機が落ちたってニュース知らないの? さっきからずーっとテレビでやってるじゃない」

 絵里の母は、はあ呆れちゃうわと、深くため息をついた。すぐさま、「新幹線代や飛行機代はお母さんが後で返してあげるから」と言ってきたのだが、絵里は無愛想に「わかった」とだけ答えてガチャリと受話器を置いた。