小学校5年生の頃だったと思う。

給食が終わったら掃除の時間。

5人一組の班に分かれて掃除する。


その日、私達は校庭の片隅を掃除した。

竹箒を持って掃いたり、草取りをしたり、石ころをのけたり。

大概は、みんなめんどくさそう。

私も。

ふざけて箒で遊んでいる男子もいる。

厚子さんは、一人黙々と箒で掃いている。

丁寧にごみを集めている。

ちり取りですくう。

すくえない小さなちいさなごみがあった。

どうしても取れない。

厚子さんは
それを
手で拾って
ちり取りにおさめた。


びっくりした。

そんな小さなごみなんか、そのままでいいじゃないか。
なのに、彼女は汚れたごみを手で一つ一つ拾った。
最後のさいごまで。


私は、この人は特別な人だと思った。

大袈裟かも知れないが神様みたい。


彼女の話し方は静か。
そしていつも美智子皇后様みたいに慈愛に満ちて、穏やかな顔。


誰もが彼女と一緒にいたいと願う。

彼女の周りは自然に輪が出来た。



同じ小学生なのに!
この人は特別な人。
崇高な人だと思った。


数年前に同窓会の写真が送られてきた。

昔通り、穏やかな表情だった。

人間って、生まれ持った何かがあるのか



あの掃除の時間がふとした時に蘇る。


ちゃんと生きなさいと私を諭す。

決して誰かに褒めてもらう為でもない。
きれいにしたいから掃除をする。


厚子さんの姿は、今も私に眩しい。