当てもなく、ただ川沿いを歩いていた。真冬の寒さから解放され、春を目の前に控えた三月中旬の昼下がり、温かな日差しに恵まれ、みな着ていたコートを腕に下げていた。
川辺では隠居を迎えた老人たちが数人、のんびりと釣糸を垂らしていた。みな一様に、川面に反射する太陽光を眩しげに眺めていた。何の変哲もない、平和な昼下がり。
そんな輝きに充ち溢れた世界とは対照的な場所に、僕の心はあった。表明を輝かせる川の底、泥とヘドロと様々なゴミで埋め尽くされ、一筋の光すらも拒む、そんな世界にいた。
人生八十年。後六十二年もある。そんな途方もない時間を、どうやってやり過ごせばいいのだろうか。時計の力を使い、死を迎える瞬間まで時を早送りすればいいのだろうか。もしかすれば、その中には人生の転機と呼ばれるものが待ち受けているかもしれない。問題なのは、それが訪れるのが先か、両腕が腱鞘炎になるのが先か、だ。



