彼女の横浜の実家には、60代の母親と和樹夫婦、4年生と2年生の二人の小学生の男の子が住んでいた。


和樹はアジアの工場で生産されている雑貨や家具調度品などを仕入れてきて、全国のデパート、物産展、インポートフェアの会場相手の商売を一人でしていた。


年に数十回、台湾、韓国、インドネシア、フィリピン等に、品を仕入れに行って来ては、日本中を渡り歩いていた。


横浜の埠頭にある貸し倉庫の在庫品は、奥さんが管理していた。


驚いたことに和樹も脱サラ組で、それも一流銀行からの転職だという。


「自由でいいよ。おまけにそんなに儲からないって年はまだ経験してないしね。全国のドサ周り(笑)の他に、各地の有名テーマパークが商売相手だから、それらがつぶれない限りは安泰ってとこかな」


確かに昨今輸入雑貨業が苦戦している中で、和樹の会社は淘汰を免れてきた。最近は欧米からの注文もあるほどだ。


そして和樹は、僕に手伝わないかと持ちかけてきた。