「今日はもう帰ろうかな。莢に逢えてよかった」

 そう言うと、莢が来た道を行くのではなく、木が更にある反対方向へと純は歩き出す。

「ちょっ…」

「莢」

 すでに莢に背中を向けていた純は、言い忘れた、と言わんばかりに引き留めようとする莢の言葉を遮る。

「莢は、何か忘れていることがあるよ」

 振り向いた純の視線と、去っていく背中を見つめていた莢の視線がぶつかり合う。一呼吸置いて、純は言葉を続ける。

「思い出してくれたら、僕はきっと嬉しいと思うんだ」

 そう言ってくるりと踵を返し、ひしめき合う木々の奥へと姿を消して行った。
 背中が見えなくなると、何か言おうとして開いたままの口を莢は閉じた。
 目と目があった瞬間の、切なそうな表情で微笑んでいる純の顔が頭に焼き付いている。
 口が開いたままであったのは、その顔を見て、何を言おうとしたか分からなくなった結果であった。
 莢はその場に立ちつくし、純が言っている『忘れていること』について考える。
 しかし、純という存在が知り合いであるかどうかさえわからないのに、更にその純がいう『忘れていること』が分かるはずがないのであった。


 


 雪は、まだ、降り続いている。