俺の名前はアキ。

帝釈天で産湯をつかった訳ではないが、その近くの下町で育った。

ガキの頃はもちろんビー球、面子もやった、しかしすぐにインベーダーの時代が来た。

全盛期には当時大ブームだった口裂け女とインベーダーを

無理やり融合させた「口裂けインベーダー」という代物まで登場した。

もちろん両者のケミストリーは最悪で、すぐに消えた。

小学校の頃は毎日ゲーセンにいた。

当事(昭和50年代)のこずかい百円ではゲーム二回やってしまったら終わりである。

駄菓子が買えなくなってしまうのだ。

なのでハングリーだった俺は空き瓶やパチンコ玉を金に換えていた。

空き瓶やパチンコ玉でお金に?

と、思うかもしれないが当時はペットボトルなどは無く瓶だったのだ。

ダチの家から空いた1リッターのコカコーラの瓶を拝借して店へ持っていくと30円もらえた。

ある時は、パチンコ屋に忍び込みパチンコ玉を拾い集め、
ジュースの販売機にパチンコ玉を入れるとジュースが出てくる仕組みになっていた。

手や顔は真っ黒になりながらもジュースをタダで手に入れていた。

危ない遊びもよくやった。

たとえばジャンケンで勝ったやつから地上50メートルぐらいあるビルの外の壁についている鉄のハシゴ
(昔は非常階段が無いビルがよくあった)を順番に登っていく。

上のヤツは途中にあるベランダから傘や植木までも下のヤツめがけて落とす。

それを俺たちは「クレージークライミング」と呼んでいた。

恐ろしいガキである。

そして「スト」電車のストライキのことだ。(あの当事はたびたびあった。)

電車が走っていないことをいいことに、
地元の駅から五つ先の駅まで線路をひたすら歩いた。

年上も年下もいて少年探偵団みたいな気分だった。

年下の子が歩けない時は、年上がおんぶして助け合ったり、

途中、みんなで金を出し合いジュースを買ってみんなで一口ずつ飲んだ。

なによりも帰り際、線路から見えるいつもと違う夕日が綺麗だった。