まず、どこに目をやって
良いのかわからない。

下を向いていたんでは恥ずかしがり始めた
中学生みたいで大人気ない。

かと言ってオージーみたいに目を
ジーっと見ることもできない。

日本語であれば自分も会話に参加すれば、
そんなこと気にならないのかもしれない。

しかし単語が所々理解できるにせよ、
俺の全く知らない話題を英語で
聞いていてもチンプンカンプンだった。

サマーの家族や親戚は親切なので、
最初は俺に目線を合わせ、わかりやすい
単語でゆっくりと会話を始めるのだが、
わからない単語が出てくると
ストーリーから脱線し始める。

脱線したらもう話の内容は
チンプンカンプンになってしまう。

俺を会話に参加させようと親切で
やってくれるのは有難いし自分も
見習はなくてはならない。

しかしオーストラリアに来て以来、
こういうシチュエーションの時
いつも思うのは子供の時。

子供の時、お正月に親戚の家へ
遊びに行く、お年玉をもらうと
すぐに帰りたくてしょうがない。

しかしウチの親と親戚のオバサンは
真剣に会話をしている。

大人が話している会話が
よく理解できなかった俺は退屈で
部屋に閉じ込められた囚人の様だった。

早くこの部屋から抜け出して外で
メンコやびー玉、鬼ごっこをしたかった。

まったく同じ心境だ。早くここを出て
シドニー、メルボルンに行きたいと・・・

しかしその場では大人しく
しなくてはならなかった。

まして俺一人だけその部屋を
飛び出すなんて出来るはずはなかった。

しかし退屈だ。話の内容なんてさっぱりだ。

12番と呼ばれた囚人の俺は
退屈以外にも特に目のやり場に困った。

厳密に言うとこういうパターンがある。

パターン1、

長方形のテーブルに8人程いて、
テーブルを囲んで俺の真正面の人と
俺の左隣の人が話す時。