「メタボリック・シンドロームですね、はい」
 ……どうやら、最後の「はい」が肯定の意味らしいと気づくのに時間がかかった。
「手術しなければいけないんでしょうか」
「残念ながら……当病院では外科は行っていないんです」
 ん? それは他の病院をあたれってこと?
「検査の結果は軽度のもので、いますぐどうこうするというわけではありません。気になる、と言うことでしたら、紹介状を上げますが」
 と名刺をいただいた。「ナントカクリニック」と書いてある。私はちらっと医師のネームプレートを見、開業医師がなんでこんなところで小遣い稼いでるんだ、と一瞬、思いかけ、
(誰しも一身上の都合はある)
 と自分を諫める。お金持ちだけが偉い訳じゃない。ちょっとうらやましいけど。そうでない人が全員悪いひとって訳でもない。そんな、無学なままの素朴な自分の良心に勝利の杯を捧げる。私にとって凡庸さは苦にならない。
 というのも、この目で母という天才のなす事、その遠慮ない態度を見守ってきたからに他ならない。それを私自身が凡庸だからだ、と言い換えることは容易だし、ひとの勝手だと思う。
 日々、彼女は歌う。彼女は踊る。唯一人で。
 大抵が脈絡もなく、それが一日のどの辺りに出没するかわからない。常識がどの辺りにあるのだかわからない。今日は何枚、皿が割れたか。
 だが、紙切れ一つで他人に戻れる父と違って、二人の遺伝子を半分ずつ受け継いだ私は宙ぶらりんだった。幸いというか、母に才量があり、踏ん張りもきいたので、施設や里子に出されたりせずに過ごした。ありがたいと思っている。