ところが。
ひと月後、母はあっけなく亡くなってしまった。美人薄命ってこのことだァ……彼女は踊りたくて、歌いたくて、笑いたかったのだろう。
入院して末期と知ってからも、彼女の希望で個室(贅沢!)でベッドの手すりでバレエのバーレッスンをしていた。だけど、私だけ、彼女は本音じゃ、泣きたかったのではないかと、勝手に思っていた。
だって彼女が笑いたがりなの、知ってるもん。
笑い上戸で、どうしようもないところで吹き出しそうになって、困った、という話もよく聞かされたもの。そんな彼女がひとに隠れてレッスンしてるなんて……。
若さも手伝って、遊んでるんじゃないかとか、逆に一時は過労死を疑われたが、その内容はいかにも派手な、虚飾の祭典だった。
まず、定刻に退ける仕事だからそのようなことはまずない、とか、実は特殊なアルバイトをしていたんじゃないか、とか、だったら、勤務態度に問題はなかったか、とか。職場の人間関係に触れるべきだ、とか、自分は寿司をほおばりながら、すきかってな親族。
ほとんどが私の預かり知らぬことばかり。
でも、そのとき初めて私は知ったんだ。毎日、目の回るような忙しさで、彼女はレッスンに通っていた。彼女は歌もダンスも、舞踊も、それは深く深く愛してた。
干し物をしようと、二階へ上がったが最後、それは広いベランダで、「椿姫」を第二幕まで延々、演じていた。時にはそれが問題視されることもあったが、ご近所では小学生に「おもしろいおばちゃん」との認識が多くを占めていた。子供だからね……
彼女は彼女の人生を奏で続けた。
タカラジェンヌになれなくとも。
ミュージシャンにも、ダンサーにもならなくとも。
彼女は天才だった。愛することに打ち込み、ためらいがなかった。なにも残すことのない生き方と言われるかも知れないが……口はばったいようだが、墓前には私がいる。まろ君も隣で笑った顔をしている。本当だ。
今までいっぱいいっぱい、愛されてきたんだよね。だから、表情筋も発達して口角がつりあがって、笑っているように見える。まろ君がいかにひとに愛され、喜びを共にしてきたのか。私にはわかる。私にも母がいたから。



