人間が人間であるが為の、一つの方策であると思う。

昨今 言われるイジメなるものは、、、
無論、今に始まったことではない。。

史上、出る釘は打たれる、、、の法則の由縁、
あるいは
権力者によって、施された国家転覆の指導者への迫害など
端的な例は 数多ある。

切磋琢磨、、、の法則の元に、
意図するしないを問わず、
イジメは、、、ある意味
美化され続けていた。

いや、、、その本質は
やはり 人間が人間として、
あり続けるためには、
当然の機能なのかもしれない。

自然淘汰、、、、進化論で 生物の生き様全てを語ろうとしたとき、
勝ち残ったものこそ有効と位置づけて、
弁証法的 アンチテーゼの存在を 必要不可欠なものとせず、
その存在そのものを否定すべきか否かの議論を反故にする傾向は、
そもそも人間がもつ本能である側面を露にせざるを得ない。


そう淘汰されるものは 
その存在そのものを
否定するだけに過ぎないのだ。

否定されても
そこにあり続けることしか、
未来へ、アンチテーゼのメッセージを
残す方策は
ないのだ。