私も、そこに入れられ、
自由を奪われた身でしたから。
あれは6つの時でしたね。菖蒲さん。
母が亡くなって、2年がたった頃。
お父様は新しいお母様を私に紹介しました。
2年の月日が過ぎても私は、本当の母を忘れることは出来ませんでした。
それどころか、その思いはつよくなり、次第には母に会おうとまで、思うようになっていました。
……それは、死を選ぶということ。
お父様が、私に仕込ませた英才教育のおかげで私は周りの子供よりも多くの物事を理解していましたから、もちろん死という存在を知っていました。
私は何度か6歳にして、自殺をはかっていました。
そのたび、御祖母様が叱ってくれたのですが、
自殺癖の治らない私に父は、こう言い放ちました。
「一度あの部屋に容れて見たらどうだ」と……。


