「自転車で家の前を通る女の子に恋をしました。これも信じてくれますか」
「ワシはすべてを信じている」
「ありがとう。実はその子のサドルが欲しいのです。どうすればいいでしょう」
「ワシが売った自転車のサドルと交換すればいい」
 その時、家の前を自転車に乗った一人の女の子が走り抜けた。
「あ! すみません!」
 その声に反応した女の子が急ブレーキをかけた。キキーッ。体が前に傾き丸いお尻がサドルから離れる。自転車が止まって丸いお尻がそのサドルに乗っかった瞬間、サドルが下まで落ちてパチンと美しい音を鳴らした。

「私に自転車の乗り方を教えてください」
「アタイが?」
「アタイとはどういう意味ですか」
「私という意味よ」
「ああ、そうでしたか。そうです、あなたに自転車の乗り方を教えて欲しいのです」
「いいよ」
「名前を教えてください。私の名前はアダムです。」
「アタイはイブよ」
「あなたは何歳ですか」
「忘れた。自転車歴は二十四年よ」
「じゃあ生まれた瞬間から自転車に乗っていたってことでいいですか」
「うん」とイブは恥かしそうに笑った。
 私は東京ドーム三個分の広さがある庭にイブを案内した。オヤジも着いてきた。
「ではまず、補助輪を付けなさい」と、イブは言った。
 オヤジが何故か気まずそうにしている。私は最初から補助輪なんていらないと思ってはいるが、オヤジが気まずそうにする必要はどこにもない。
「私は三輪車に乗りたいわけじゃないのですよ」
 私は優しくイブに言った。
「アタイの言うことが聞けないのならこの話はなしね」
 イブが背を向けて帰ろうとしたので、すみません、と私はすぐに謝った。惚れたら負け、という言葉を本で読んだが本当かもしれない。しかし、どうしても負けたくない私は意地になってしまった。
「しかしやはり三輪車には乗れません」
 これのどこが三輪車なの! とイブは急に激昂して私の自転車のサドルをバチンと叩いた。