「この店がオープンしてから君でお客さんは二人目だ」と、まだ汚れていない純白の少女が初恋の人を見つめているようなキラキラした目で、自転車屋のオヤジは私を直視した。
「一年間で一人しかお客さんが来なかったのですか?」と言って私はオヤジの目を見返すことができずに、視線を下に逸らした。オヤジはそんな私の顔を露骨に覗き込んでくる。この千円札が偽物であることがバレたのかも知れない。
「そう、お前さんで二人目じゃ。この世界には殆ど人間が残っていないからこれもしょうがないがな」
 そうですか、と私は応えたものの、オヤジの言うことは全く信用していなかった。人間がいない? そんなはずはない。その証拠に私がここに居るし、オヤジも居るじゃないか。そしてあの子だって・・・。確かに数年間私は人と会って会話した記憶はないが、それは自らが拒否し、望んでいたからだ。
「一人目のお客さんの話を今からするから静かに聞いてくれ」
 そんな話は聞きたくもなかったが、偽者の千円札だということがバレているかもしれないこの状況では素直に従うしかなかった。
「そのお客さんはオープンしたその日にやってきた。そして『この店で一番速い自転車をください』と言ってきた。ワシは丸一日時間をもらって悩んだ結果、一台の自転車を選んだのじゃ」
 それがこれじゃ、と言いながらオヤジはすぐ隣に置いてある自転車のサドルをバチバチと叩いた。バチバチ、バチバチ、バチバチ。そして最後に力いっぱい叩いた。バッチーン!
 強く叩きすぎたせいでネジが緩み、高く綺麗に伸びていたサドルは下まで一気に下がってしまった。私は悲しくなって静かに泣いた。