私は堪らなくなって訊ねた。
「最後に会った人というのは、この自転車屋にいたオヤジですか」
「そうです。その時も一番速い自転車を買ったのですが、どうも駄目で一回は諦めたのです。そして予言の解読をやり直したのですが、どう考えてもあの予言は自転車に乗れと言っているんです。だからもっと速く走れる自転車があるはずなんです」
わかりました、と言って私はイブのサドルとイブの母親の形見のチェーンが付いている自転車を千円で売ってしまった。受け取った千円札は本物だった。この瞬間、私の中に欲望と言うべきものがムクムクと湧いてくるのを感じた。人間が滅亡寸前ならこの千円札は紙屑同然の価値しかないはずなのに、その千円札を握り締めた時、私は穢れてしまっていた。いままで欲望が無かった私は性欲とも無縁だった。欲望が湧くということは当然性欲も湧いてくる。私は大きな罪を犯してしまったかのような気になって恐くなり、恥かしくなった。そして、握り締めた千円札を見ながら暫く放心した後、それを口の中に押し込んで飲み込んでしまった。
「こんな時代だから何かと用心が必要でな。いざという時のために拳銃が引き出しの中に入っておるから、覚えておくといい」
と、オヤジが言っていたのを思い出して私はその拳銃を手に取り、銃口を自分の頭にピッタリと付けて躊躇なく引金を引いた。流れるような自然な動作で死というものは意識できていなかった。
カチ。あれ? カチカチカチ。計四回引金を引いたが弾が発射されることはなかった。私は急に恐くなり反射的に拳銃を投げた。小さな弧を描いて地面に落ちてゆく。
バァン! 地面に落ちた衝撃でそれが暴発した。その音が耳に届くと同時に、生きることを決断して、私は弾かれたように走り出した。
了
「最後に会った人というのは、この自転車屋にいたオヤジですか」
「そうです。その時も一番速い自転車を買ったのですが、どうも駄目で一回は諦めたのです。そして予言の解読をやり直したのですが、どう考えてもあの予言は自転車に乗れと言っているんです。だからもっと速く走れる自転車があるはずなんです」
わかりました、と言って私はイブのサドルとイブの母親の形見のチェーンが付いている自転車を千円で売ってしまった。受け取った千円札は本物だった。この瞬間、私の中に欲望と言うべきものがムクムクと湧いてくるのを感じた。人間が滅亡寸前ならこの千円札は紙屑同然の価値しかないはずなのに、その千円札を握り締めた時、私は穢れてしまっていた。いままで欲望が無かった私は性欲とも無縁だった。欲望が湧くということは当然性欲も湧いてくる。私は大きな罪を犯してしまったかのような気になって恐くなり、恥かしくなった。そして、握り締めた千円札を見ながら暫く放心した後、それを口の中に押し込んで飲み込んでしまった。
「こんな時代だから何かと用心が必要でな。いざという時のために拳銃が引き出しの中に入っておるから、覚えておくといい」
と、オヤジが言っていたのを思い出して私はその拳銃を手に取り、銃口を自分の頭にピッタリと付けて躊躇なく引金を引いた。流れるような自然な動作で死というものは意識できていなかった。
カチ。あれ? カチカチカチ。計四回引金を引いたが弾が発射されることはなかった。私は急に恐くなり反射的に拳銃を投げた。小さな弧を描いて地面に落ちてゆく。
バァン! 地面に落ちた衝撃でそれが暴発した。その音が耳に届くと同時に、生きることを決断して、私は弾かれたように走り出した。
了

