『お姉ちゃん』

彩弓は。

前髪で半分隠れた顔を向けて、ニヤニヤと笑って手を伸ばしていた。

爪は伸び、汚れを染み込ませ灰色に濁っている。

いつの間にか、ハンガーに掛けられていた制服は彩弓の身体を包んでいた。

『あ、彩弓…』

身体が動かない。舌がもつれて、歯はガタガタと鳴る。反対に、彩弓は汚れた爪で私の背中に触れると、鏡越しにこう言った。

『お姉ちゃんだけは、私を忘れてなかったんだ。』

『お、お願い…あのふたりみたいに、私まで…』

恵美子は。

旦那が連れてきた、浮気相手を包丁で刺し、彼女の眼を潰した。

なんで彩弓が、あんたがこんな所にいるのよと。

浮気相手だったホステスは、重体で病院に運ばれたが、もう意識は戻らないという。

香奈枝は。

バスで倒れかかってきた女子高生に、いきなり殴りかかり、髪の毛を引き摺って顔をぐちゃぐちゃにさせてしまったそうだ。

彩弓、来ないで、彩弓、近寄らないでと。

きっと、いや間違いなく次は私の番なんだ。

パパもママも、関わりたくなくて彩弓を無視したせいで、妹が死んだ日に自分たちが完全に消してしまおう、とこの部屋を壁で埋めようとしたが、失敗した。

ふたりの声は、昨晩から聞こえてこない。その代わり、台所には堆く積まれたセメントの中で、何かがゴソゴソと蠢いている。

もう、残されたのは私だけだ。

彩弓はザクリ、と背中に爪をたてた。

逃げられない。

誰かのせいにして、周りや環境が悪いと責任を押し付けていた私自身からも、それらの餌食となった彩弓からも逃げられないのだ。

部屋のドアは、既に消えて壁と化している。

『これからは、ずっとずっとふたりで仲良く遊ぼうね、お姉ちゃん。』

耳たぶに腐臭を吹き掛けながら、彩弓はズルズルと私を押し潰した。

その重みを、私は不快だとは感じず、むしろ安らぎに満ちた心でそれを受け入れた。