キミが刀を紅くした



 籠を無くした私が今頼れるのは彼しかいなかった。駄目元でお願いしてみると、半助さんは小さく首を横に振った。その時ようやく私の手首が彼の手から解放された。



「俺は修行中だ」


「そうですか」


「だが椿は狙われているらしいから、これをやる。返さなくていい。俺はもう使わない。あと京はあっち。東に歩けばあるから」



 彼は懐から小さな刀を取り出した。脇差しよりも小さなそれだが人の喉をかっきるのには丁度良いサイズかもしれない。私はそれを受け取って丁寧に彼にお礼を述べた。

 文字通り消える様に姿を消した半助さんを見送ってから、私は東に向けて歩き始めた。太陽が登っていたのは助かった。大っぴらに殺される心配もないし方角も分かるし。



「――あれ?」



 数分も歩かないうちに都が見えてきた。送ってもらう程の距離ではなかったのか、と安心して私は京に足を踏み入れる。懐に入れた小刀の存在を確かめながら歩き続ける。

 私がまず向かったのは――島原での私の預かり先である旅館、花簪だった。行かないと心に決めていたはずなのにいざ行く場所がないとやはり居ても良い場所に戻ってしまう。


「こんにちは」



 戸を開けて中に入ると雰囲気の良い旅館が広がっていた。しかし何と言うか。良く見れば埃だらけの潰れかけ旅館だ。私は無意識に口元をおさえながら、旅館に上がった。



「すいません、誰かいませんか?」



 番台には誰も居ない。宿帳もない。埃だけは至る所にある。私は番台の奥にある調理場を眺めた。だがやはり、誰も居ない。

 まさか私は誰もいない空き旅館に飛ばされてしまったと言うのだろうか。ため息をついて二階へ上がると、一番奥の部屋から明かりが漏れているのが見えた。誰かいる。

 私は意を決して襖の前に立った。椿の間と書かれたぼろいプレートが傾いている。



「誰か来たよ、半助。迎えなさい」


「――御意」



 軽やかな声に続いて聞いたことのある声が聞こえてきた。襖が開くと思った瞬間、私は咄嗟にその前に両膝をつき、頭を下げていた。癖と言う他ない。江戸の旅館を手伝っていた時のそれが出てしまったのだ。

 作法もへったくれもない大きな音を立てて襖が開くと同時に、手裏剣が背後の壁に三つ刺さった。私がつっ立っていれば急所を確実に当てている。だが私は、生きていた。



「――見事だ」



 奥から笑い声と共に拍手が聞こえてきた。私は状況を理解しないまま頭をあげて、半助さんを見つける。彼は私を見下げて睨み付けたまま動かない。そして奥の人は私を見てふと微笑んだ。あの人は――誰だろう。

 私ははっとして再び頭を床につける。長いまとまらない黒髪が床にだらしなく流れた。



「私は本日よりこの旅館でお世話になります、江戸から参りました中村椿と申す者で御座います。不束ではありますが、生を通して懸命に働きます故、どうぞ宜しくお願い申し上げます。お侍さま、お忍さま」



 そこまで言い切って不思議に思う。侍と忍が旅館を所有するものなのだろうか? しかも私を引き取ろうとしている。おかしな話。

 私が頭を上げずにいるとお侍さまが立ち上がり、私の傍で片膝をついた。そして私に向けて片手がすっと差し出される。



「残念ながら俺はこの旅館の人間ではないんだが、宜しくされたのなら応えない訳にはいかないな。さあ顔をあげなさい、椿」


「はい」



 すっと顔をあげるとお侍さまの顔が見えた。端正なお顔だ。しかも衣服も見たことがないくらい豪華なもの。質素ではあるけれど明らかに普通の武士とはものが違う。

 私は思い当たる節を見つけて再度頭を下げた。この人は普通の武士ではない。