胡蝶蘭

ここまで怯えた人間の顔は今までみたことがない。



偉槻は無意識に一歩踏み出した。



「おい、何やってんだ。」



男は驚いた様子もなく、偉槻をゆっくりと振り返った。



表情は、「何?」とでも言いたげだ。



「放せよ。」


「なんで?
君に言われる筋合いないよね?
俺達、家族だし。」


「家族ってお前。
さっきやってたことは家族にあるまじき行為だろ。」



一瞬、驚いたように目を見開いてから、彼は言った。



「そうかなぁ?
たまたま血がつながって生まれたってだけじゃん、したいことはしたいじゃん。」



勝手な理屈をこねるな。



「おい、お前、こっち来い。」



それまで恐々と偉槻達を窺っていた誓耶が偉槻を振り向いた。



無言で腕を広げてみると、彼女は思い切ったように駆け出した。



それをみたとき、偉槻はほっとした。



何故かはわからない。



ただ、身体から変な力が抜けた。



が、男が彼女の腕を掴んだ。



不意に引き戻され、彼女の身体がバランスを失う。



偉槻は思わず小さく声を漏らした。



「何逃げてんの?
言ったでしょ、俺から逃げちゃダメだって。」



身勝手に彼女を罵る。



また、彼女は表情を強張らせる。


「っていうかあんた、さっきはよくも嘘吐いてくれたね。
おかげで寒い中待たされた。」


「嘘なんか吐いてねぇ。」


「誓耶のこと知らないって言ったじゃん。」



それについては本当だ。



名前を知らなかった。



「俺は誓耶をかくまってたんじゃない、見ず知らずの女をかくまってたんだ。」


「屁理屈を…。」



男は忌々しげに偉槻を睨む。



それはそうと…



あいつ助けなきゃな。