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次の週の土曜日、再び稲葉があたしの家にやって来た。
今度は、きっちり時間通りにね。

「早速、始めるか」
「うん。ねぇ、稲葉。お手本見せて?」
「いいよ。何から見せればいい?」
「えっと、まず包丁裁きから」
「オッケ─」

シャツの袖を捲くって包丁を握る姿は、かなりサマになっている。
こんなところを会社の女子社員が見た日には、大変なことになるに違いない。
独り占めしているあたしは、幸せ者だわぁ。

「痛っ、ちょっと。何するのよ」

───痛っ~い。
ちょっと稲葉、何するのよ。
痛いじゃない。
いきなり稲葉におでこをデコピンされて、あたしは思わず声を上げた。

「こら、ちゃんと見てなきゃだめだろ」
「あっ…ごめん」

つい見惚れてしまったあたしは、彼の包丁裁きなど全く見ていなかった。
今日の目的は料理を習うことなんだから、もっと集中しないとね。

「いいか、こうして」
「すっご~い稲葉、お母さんみたい」
「それは、褒められてるのか?」

これは喜ぶべきことなのか?微妙なところだったが、まぁこの際ヨシとしておこう。

「褒めてる褒めてる。稲葉って、そんなに上手なの?」
「こんなの練習すれば、新井にもすぐできるさ」
「そうかなぁ」
「ほら、やってみて」
「えっ、うん」

あたしは稲葉と場所を入れ替わるとおぼつかない手で包丁を握り、野菜を切る。
彼が「手はこうして、添えて」と優しく教えてくれるんだけど、すぐそばに顔あって変にドキドキしてしまう。
───これじゃあ、集中できないわね?
そう言えば、稲葉って付き合ってた彼女とこんなふうに料理をしたりしたのかしら?

「ねぇ、稲葉」
「ん?」
「付き合ってた彼女とは、こんなふうに料理をしたりしたわけ?」
「あぁ?何だよ、いきなり」

そんな付き合ってた彼女の話なんか、ここでするなっ!と思う稲葉だったが、もしかして気になるのか?