なんてことは、ない。
この見慣れた人間のうるさい口を塞ぐのは、実に簡単だった。
元々、難しくなどなかったのだ。
用いる道具とタイミングさえあれば、誰もが出来る事。
その行為に唯一立ちはだかるのは、恐らく躊躇いという下らないものだろう。
人間の、『感情』という厄介な…形の無い曖昧な存在のくせにこれなしでは人として成り立つ事も出来ない奇妙な…依存する塊が、障害となる迷いを生むのだ。
しかし自分には、後にも先にも一切の躊躇いなど無かった。
罪悪感も無かった。
後悔もする筈が無かった。
代わりに残ったのは、奇妙な快感だったと思う。
自分の腕を掴むのは、骨と皮だけの節くれだった震える手。
しわの寄ったその手に直に触れるのは、一体何年振りだろうか。
遠い記憶を辿って懐かしさを感じる前に、ああ…人間、歳はとりたくないものだなと…老いたその手を見て思った。
松明の明かりを背景に影が差し込む頭上から、見た目通りのしわがれた声がポツリポツリと落ちてきた。
「―――………リイ、ザ……」
「…はい、父上」
「………………何故…じゃ…」
「………理由など………………申したところで、もう父上には必要の無い事でしょう」
今夜は珍しく、風が無い。
松明が爆ぜる小さな音色だけが聞こえる、静かな謁見の間。
薄暗いその室内には、惑う闇と光の下に散らばる、幾つもの兵士達の屍。動かぬそれらを見下ろすかの様に小高い段差の上に君臨するのは、高貴な赤い古びた玉座。
しかし今は、腰を下ろす資格を持つ者の姿はそこには無い。
赤の国の王は、玉座の前に佇んでいた。
玉座の前で。
まだ背丈の低い赤い髪の、同じ血を引いた我が息子を、懐に抱いて。
息子が両手で握る、赤紫に光る刃を、胸に貫かせて。
血溜まりの、中で。
佇んでいた。


