微かに眉をひそめたユノの瞳が、赤い光を揺らめかせるのが見えた。
…辺りから再び、何やら不吉な音が漂い始める。
混乱仕切った頭は、何が危ないのか、何をすべきなのか、全く考えてはくれない。余裕が無いのだ。
…しかし、そんな時に酷くぼんやりとしたレトの意識を覚醒させてくれたのは、次に聞こえた怒鳴り声だった。
「―――…ぼさっとしているんじゃないわよ…!!何突っ立ってるのよ!!」
…耳をつんざく勢いで声を荒げながらこちらに振り返ってきたのは、鎚を構えて臨戦体勢に入っているドールだった。
彼女はいつの間にやらレトの前に出て、先程の鋭い氷の突進をその鎚で跳ね返してくれたらしい。
空間ごと叩いて跳ね返す事を得意とするドールの技は、飛び道具などの攻撃には効果覿面だ。
彼女の素早い介入が無ければ、今頃レトは針山の如く串刺しになっていたかもしれない。
その罵声でようやく我に返ったレトは、泣き顔でドールを見詰め、そして前方にいるユノに再び視線を移した。
「…ドール……僕…」
「………なさい」
「…え…?」
こちらを睨んでいるユノに対し、明らかな敵意を持って鎚を構え直すドール。
彼女がこちらに振り返らないまま何やら呟いたが、小さくてよく聞こえない。
小さな嗚咽を漏らしながらもう一度耳を澄ませれば……ドールは謁見の間に響き渡る程の大声で、叫んだ。
「逃げなさいって言ってるのよ!!馬鹿!!」
―――…逃げ、る…?
レトはビクリと肩を震わせて、ユノとドールを交互に忙しく見詰めた。
…レトはただただ、困惑していた。
何故?
何故?…どうして…?
「……逃げる…?………どうして僕…逃げるの?」
…逃げるという選択肢が何故あるのか、分からない。
どうして逃げなければならないの?
だってここに危険は無い。敵はいない。
僕等だけ。
だって、前にいるのは…。


