越えることも、突き破ることも出来ない魔法陣を前にがむしゃらに口を開閉させ、鋭利な牙をちらつかせる大蛇の獰猛な姿を見詰めながら…ノアはそっと、目を細めた。
「………ヨルン…とうとう…狂ってしまいましたか。………可哀相な子。今の貴方の姿を見れば………あの子が…フローラが、悲しみますよ…」
この大蛇の名はヨルン、というのだろうか。
しかしそれよりもまず、その名を呼ぶノアの声に孕む、何とも形容しがたい切ない感情が、レトの心を揺さ振った。
ノアの瞳に涙は無いが、今にも泣きそうな悲しい声だ。
ヨルンという名のこの大蛇は、焦点の合わない眼球や暴走振りからして、どうやら正気を失っているらしい。
普段のヨルンならばきっと、ノアに襲い掛かることなどまず無いに違いない。
日が暮れ始めてから、山々に潜む獣達の様子が何やらおかしい。このヨルンも、何らかの影響を受けているのかもしれない。
…何にせよ、ヨルンはもう、ノアの知るヨルンではない。
彼等の間にどういった繋がりがあるのかは知らないが………それは決して、浅いものでは無い筈だ。
「………無理な話でしょうけれども………ヨルン、目を覚ましてはいただけませんか…」
悲しげな微笑を浮かべ、ノアは言葉を繋げる。
ノアの声を聞いているのか、はたまた聞こえているのだろうか。ヨルンは殺気に満ちた低い唸り声を上げた。
貪欲な飢えが、喉の渇きが、獣を獣へと変えていた。
黄金色に輝くヨルンの目は、最初から、ノアなど見ていなかった。
「目を…覚まして下さいよ。………でないと、私………………貴方を殺さないといけないではありませんか…」
暴れるものは。
城を壊すものは。
悪いものは。
全部、全部、消さないと。
城の守人ですから、城を守らねば。
…ああ、でも。
今私の前にいるのは、可愛い可愛いヨルン。
独りぼっちの私の傍にずっといてくれた。
私は貴方が生まれた時から、知っている。
あの子と、二人で育てた…。
私の。


