彼が、呼んでいる。
自分の名前が、愛しい人の声となって聞こえてくる。
アシュは動かなくなった父の手にそっと触れ、ゆっくりと立ち上がった。
重い足を引きずりながら、誘われる様に彼の元へと歩んで行く。
一歩、また一歩歩けば、床が金切り声を上げて軋む。
限界を物語る、その悲鳴。
彼の元へと歩みながら、アシュは羽織っていたマントをおもむろに脱ぎ、胸に抱く小さな身体を優しく包んだ。
散乱する木片を跨いでいき、ザイの伸ばす手まであと数メートルという所。
背後から、再び雷鳴に似た大音響が鳴り響いた。
炎を纏った太く大きな柱が徐々に傾いている。今にもこちらに倒れてきそうな状態だった。
ゆっくりと、覆い被さってくる火柱を背にしながら………。
アシュは、ザイのいる場所から、一歩前で………立ち止まった。
突然、奇妙な行動をとる彼女にザイは怪訝な表情を浮かべたが、今はそれどころではない。
燃え盛る炎の塊から、巨大な火柱が二人目掛けて頭を傾けているのだ。このままでは…。
「アシュ…!!何を、しているんだ…!?………手を伸ばせ…!………アシュ!!」
ザイが伸ばす手の先は、アシュに届きそうで届かない。
視界の隅にあった火柱の影が、だんだんと大きくなってきた。熱風が吹き付ける。火の粉が身体を覆う。
赤い悪魔が、駆け寄ってくる。
あたしは、幸せが欲しい。
幸せって何なのか分からないけど。欲しい。
そう思っていたけど………実はもう、手にしているんじゃないかしら。
もっと幸せになりたい。だけど。
最後の、我が儘。
前にも言った気がするけど、これが最後。
本当に、最後の、我が儘。


