一面、油で塗れた室内と、アシュの震える手が握り締める蝋燭の小さな炎。
彼女が起こそうとしている行為と、その先に待つ惨劇が、手に取る様に分かった。
…濃厚な油の独特の臭いに、顔をしかめる。激しく息を切らしながら、伯爵は少しの間を置いて一歩…右足を前へ出した。
薄暗がりで足元はあまり見えないが、自分は油の海に踏み込んでいるのだろう。水が跳ねる様な微かな音が、靴底から聞こえた。
「………アシュ…」
「来ないで。………近付いたら…火をつけるから…!………本気、なんだから!」
ヒステリックに叫ぶ彼女は、確かに本気の様だった。下手な真似をすれば、彼女は躊躇う事無く蝋燭を落とすだろう。
…そうでなくとも、震える彼女の手は今にもその火を離してしまいそうだ。
「………アシュ、馬鹿な真似はよしなさい」
「…馬鹿はどっちよ!……来ないで…来ないでってば…!………………あたしは、もう………縛られたくないの!!」
「縛る…?…全てはお前のためだ。お前のためにやっているんだ。………何故分からないんだ!」
「……分かっていないのは、貴方の方よ!!」
喚き散らす二人の声は室内の空気を震わせ、吹き渡る冷たい風と共に闇夜へ散っていく。
屋敷の階下から、自分達とは別の人間の声が聞こえてきた。
この騒ぎで召使達が目を覚ましたのだろう。旦那様、旦那様…と父を呼ぶ声が木霊している。
「………お前をたぶらかしたのは誰だ…」
暗闇色の水滴が、足元で跳ねる。
父の怒りが、一歩近付く。
真正面から感じる視線は、あの父のものとは想像がつかないほどの、冷たさと鋭さを帯びていた。
…怖い。怖いけれど。
………泣きたくない。謝りたくなどない。


