『すまなかった』


“あの人”は、深々と頭を下げた。



白髪まじりの髪を見て、
母とはずいぶん年の離れた人だな、
というのが第一印象だった。


それから、
ずいぶんお金持ちそうで、
母とは一体どうやって
知り合ったんだろうって思った。



葉巻の臭いがするジャズバー、
ジンジャーエール。

そしてサックスの生演奏。


実の父親と
最初で最後に会った場所。



「どこかで、少し話ができないかな?」

と言ったあの人に対して、
何気なく、

「じゃあ、
いつも行ってる場所に連れていって」

とあたしが言った。



「ここのジンジャーエールは
自家製でとても美味しいんだ」

と、遺伝子上の父は
ジンジャーエールをあたしにすすめた。



ジンジャーエールは、
あの日以来飲んでいない。



高そうなスーツ、高そうな時計。

爪の縦じわをずっと見ていた。




どこでどう知ったのか、

ちょうど家出して
千夏姉の家に転がりこんでた
あの夏休みが終わったすぐあとの
ことだった。



突然現れたあの人は、
あたしの力になりたいと言った。



中学校近くの喫茶店で
待ち伏せしてたみたいで、

図書室で勉強した帰りに
あたしが前通ったら、

いきなり
知らないおじさんが出てきた。


日が暮れた時間だったから
よけいビックリした。



真偽は定かではないけど、
あたしとあの人が会ったことは、

母は知らない。