いったい、何が起こったのでしょうか。
ええ、途中までは解るのです。わたくしは洞院様のお屋敷をでて、そのまま朱雀大路を目指しました。朱雀大路へ出たら一旦内裏の方へ向かってその後再び右に入って…と考えながら夜道を歩いていたのです。すると突然に、くすんだ色の、大きな犬が現れました。眼光鋭く、その腹は骨が見えそうなほどやせていました。ゆっくりと近寄ってきます。わたくしは身の危険を察して一目散に逃げました。その犬も追いかけて来ました。道の両端は塀が続きます。しかしわたくしにはそこに飛び移る猶予もありませんでした。ただひたすらに駆けました。どこかの角を曲がってわたくしが目にしたのは、新たな犬でした。この犬も、先の犬と同じような体つきをしておりました。わたくしは二匹の飢えた犬に板挟みにされました。もう、どこにも逃げ場はございませんでした。
その後のことはわかりません。気が付くと、わたくしは蓮華の花が咲き乱れる美しい御殿におりました。
「猫や」
わたくしは誰かに声をかけられました。
「おいで」
わたくしはわたくしを呼んだ方の方へ参りました。その方の後方がとても明るく輝いていたため、そのお顔は影になって拝見することはできません。
「名は何という」
「紅朧、でございます」
わたくしは自分の口が言葉を発したことに少々驚きました。
「そうか、良い名だな」
「ありがとうございます」
「紅朧、ここは浄土だ」
「浄土、といいますと…つまりわたくしは…」
「浮世での生は終えたのだ」
「死んだ、ということでございますね」
「そうだ。しかしな、紅朧」
「…はい」
「お前は猫の身で有りながら、浮世にあっては殺生を一度もしなかったな」
「…そうなのですか?」
「ああ。鼠は勿論、小虫でさえ殺さなかった」
「でもわたくしは死にました」
「そう、気を落とすな。お前を浮世へ戻してやろう。急にお前がいなくなっては悲しむ者がおろうに」
「…仁央様…」
「しかしな、紅朧。猫の紅朧はもう死んでしまった。それは変えられぬ事実。お前に別の体を授けよう」



