「あ、」
「どうしたのだ」
「いえ、藤和様にその猫に名前をつけて頂いて、それを聞いてくることも言い付かっておりますので」
「名前か…」
私は子猫を見た。
「…くろ…」その色。
紅。首の唐紐。
朧。あのおぼろ月。
「くろう…」
「くろう?」
「…そう。紅に朧で紅朧」
あの御方は解って下さるだろうか。この意味を。
「紅朧…」
私は子猫を撫でた。紅朧はみゃあ、と答えた。
「お前は、紅朧なのであろう?」
仁央様はもう一度言われました。
「はい、と返事を」
わたくしは頭を振りました。仁央様の意に背くことも、嘘を述べることもしたくはありません。けれども、わたくしは、本当の事を言ってしまって仁央様のお近くにいられなくなることをおそれました。そんな気がしたのです。
「お前の髪や瞳は紅朧そのものだ。紅朧、紅朧、紅朧」
わたくしの名を呼ぶ仁央様。
猫であった時分に、この声に答えたいと何度思ったことでしょう。今はそれができるのに、してはならないのです。
腕の中で暴れるわたくしを、仁央様はひたすら強く抑えます。
ああ、仁央様。どうかわたくしをお許し下さい。
たったの一時でも、仁央様を怖いと思ってしまったわたくしを。
たったの一時でも、仁央様から逃げたいと思ってしまったわたくしを。
「紅朧」



